【Mrs. GREEN APPLE】歌詞・感想 アウフヘーベン ”綺麗な世界とはさ 創るのはもう無理なのか”
こんにちは、ヒロキです。
2018年4月18日にMrs. GREEN APPLEの3rdアルバム”ENSEMBLE”(ENSEMBLE(通常盤) | Mrs. GREEN APPLE official site)が発売されました。2017/18年に発売されたシングル”Love me, Love you”や”WanteD! WanteD!”、”どこかで日は昇る”など13曲収録のアルバムになっています。
また、このアルバムを引っ提げての全国ツアー ENSEMBLE TOURが2018年5月から行われています。
今回はその”ENSEMBLE”の中から、”アウフヘーベン”について書いていこうと思います。いえ~い!
「どんな曲?」とか「どんな歌詞だろ~」とかいいんだ、とりあえず聴いて...
全人類......聴いて...!!(大袈裟)
私はこの曲、とても好きなんです。この曲を聴いて感じることをつらつら書いていきたいと思います。
(ミセス全然関係ないんですけど、この曲がアップされた頃にちょうど「鋼の錬金術師」を読んでいて、「めっちゃ世界観あうやん...!」とか考えながら聴いてました。)
目次
(記事全体が長いのでここで畳みました。2019年10月1日更新。)
1.「アウフヘーベン」ってそもそも何よ
「アウフヘーベン」が何か知ってる方は流して読んでもらっていいところなんですが(というか私も高等教育のレベルで専門的に哲学、特にヘーゲル哲学を学んでいるわけではないのでフワッとした解説にしかならないです...)
とても簡単に例えるとこんな感じ。
A君は焼きそばが食べたい。でもB君はパンが食べたい。これでは二人の意見は対立してしまう。
そんな時、焼きそばパンが登場!これで二人の意見を尊重しつつ、二人とも納得できるより良い解決策に辿りつけた!やったぜ!
この時、二つの対立する意見がより理想的な形で一つにまとまっています、これがアウフヘーベンです。(雑でごめんなさい)
※ここまでがフワッとした解説、ここからお堅い説明
現代においてこの言葉は、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831)が唱えた「弁証法」の中で用いられます。(もともとはギリシャ哲学で「問答法」の意で用いられていたそう。)
ヘーゲル曰く「弁証法」とは全ての事象や事物が持つ、存在とその発展を支える原理のこと。なんのこっちゃわからねぇ。
彼によると、この「弁証法」の原理に従って全ての事物はあるべき形に発展します。”すべての物事はあるべき形に発展する”、これはとても理想的に聞こえます。
実際のところ世界は対立や争いに満ちているようだけど、全てのものは自己と対立・矛盾するものを含みながらもそれらをより良いものへと統合させること(止揚、アウフヘーベン)で、理想に向かって進んでいくんだ!というわけです。これが「正(テーゼ)-反(アンチテーゼ)-合(ジンテーゼ)」の原理です。
彼はこの「弁証法」の原理に従って世界は動くと考えました。つまり必ず世界は理想的な方向に進んでいくということです。もちろんそこに障害はあるけれど、そういったものたちもアウフヘーベンすることで理想に近づいていきます。ミセスの記事だってこと忘れそうだからこの辺で終わりにしておきます!
平たく言えば、アウフヘーベンは「二つの相反するものをより良いものへと統合すること」です。
では次に”アウフヘーベン”の歌詞を見ていきますね。
「まだ生きたりないな」
「もう死にたいな」
「もう嫌だ逃げていたいな」
「あそこが羨ましいな」
ならもう
間を取ってみましょうか
そうはいかないな
なるほど。
「まだ生き足りない」という気持ちと、「もう死にたい」という気持ちは対立するものです。「逃げていたい」という思いと「あそこが羨ましい」という思いも、逃避と接近という相反する感情を持っているように思います。
これをさっきの「弁証法」に照らして考えると、「生きたい」と「死にたい」の間を取って、より良い形へとアウフヘーベンするはず......あれ??
「ならもう 間を取ってみましょうか そうはいかないな」
アウフヘーベンしてないじゃないですかやだーーー!!
「そうはいかないな」って...間...取れて...ないじゃん......!
そうなんですよ、この曲タイトルで”アウフヘーベン”って言っておきながら
アウフヘーベンしてない!!
このこと、はじめて気づいたときに結構な衝撃を受けました。だってアウフヘーベンしてないから。
でも私には、もう一つの意味で非常に衝撃だったんです。それについて次に書いていきます。
2.私が思う「大森元貴哲学」について
アウフヘーベンしてないことに衝撃を受けたところで、次です。
「大森元貴哲学」について
「な、なんだそれ...」と思ったあなたは正しい、これは私の造語だからです。
ミセスの作詞作曲を一人で担当している大森元貴さんは、小学校6年生の時から独学で曲作りをしており、中学時代も高校時代もとにかく一人で曲を作りまくっていた人です。この”アウフヘーベン”も彼が高校2年生の時に作った曲です。
(この辺の話についてはたくさんインタビュー記事があるので、読んでみてください。)
つまり彼が作ったミセスの曲には、彼の世界観がバリバリと反映されています。言葉の端々に彼の価値観や思っていること、悩んでいること、響かせたいことが、それはもうビシバシと乗せられているわけで、それを聴いてこっちは「心に沁みるぜ...!」ってなるんです。
そんなミセスの曲を聴いて、彼の言葉たちに触れる中で私がずっと感じ取っていたメッセージは
どんなにこの世界が汚くて、苦しくて、どうしようもないものであったとしても
絶対に希望は残っているし、愛を諦めてはいけない
これです、これが私の思う「大森元貴哲学」。
たとえぼろぼろに傷ついても、どこかで人間の優しさを信じてるんです。
こういったメッセージを感じ取れる曲は挙げたら本当にキリがないんですけど、ちょっと例を挙げておくとこんな感じ。
”WaLL FloWeR”
実は汚れ腐った此の地
人もなにもかも全部
どうか温かいモノを忘れないように生きて
壁の花は いつか報われるべきだ
世界は貴方の手に拠り 生きて居る
”SimPle”
手を繋いで輪になって
温もりを感じる事が出来るなら
シンプルに ただシンプルに
この世は終わっちゃなんかいない
他にも、大森さん本人が書かれていたコラムからも、彼のこういった世界観をうかがい知ることができます。
...みんな諦めている。ぐちゃぐちゃなのだ。
でもまだ耳を澄ませると 本物の「ありがとう」や「ごめんね」が
ちらほら聞こえる。
まだ終わっちゃなんか居ない。
あと少し頑張れそうだ。あと少し。
【連載】Mrs. GREEN APPLE 大森元貴 『ナニヲなにを。』- 第9回 『ぐちゃぐちゃを。』 - | OKMusic
私はこの「大森元貴哲学」がミセスの楽曲の根底にあると思っていて、完全に絶望しきった曲は本人が書こうとしていないんじゃないかなって感じています。
でも、この”アウフヘーベン”は「大森元貴哲学」から逸脱している。
再び歌詞を見ていきます。
なんだっていいんだって。直に嵐は過ぎる
安牌な回答で直に虹が架かる
大丈夫 心配無いよ。大勢が傷つくだけ
なんてことはないよ、直に朝日が差す
なんだっていいんだっけ?
大丈夫なんだっけ?
PVも観てもらったらもっとわかりやすいと思うんですけど、ここでの「大丈夫 心配無いよ。」って全然励ましのことばではなくて、むしろ相手を責める言葉なんですよね、多分。
「大丈夫、お前の安易な回答で一時的には事態は好転するだろう、そのせいで大勢の人が傷つくけどね」っていう。
大森さん本人も、アルバム"ENSEMBLE"のオーディオコメンタリーで、「ここの大丈夫は皮肉」みたいなことをおっしゃっていました。
つまりここでの「大丈夫」は額面通りの「大丈夫」じゃない。本当はちっとも大丈夫じゃないんです。
以前コラムで大森さんはこんなことを書いています。
「大丈夫だよ」という言葉は魔法の言葉だ
【連載】Mrs. GREEN APPLE 大森元貴 『ナニヲなにを。』- 第3回 『魔法の言葉は在るということ、を。』 - | OKMusic
ある種の温もりをもって「大丈夫は魔法の言葉だ」といった彼が、こんな歌詞を書くのかと驚きました。
そしていつものミセスの曲だったら、曲の最後では事態は好転します。どんなに絶望しても最後には必ず希望がある。
でもこの”アウフヘーベン”のPVは、最後に暗転して、画面が真っ暗になって終わります。とても未来が望めるような終わり方ではないんです。
あの「大森元貴哲学」からの逸脱、これが”アウフヘーベン”が衝撃だった二つ目の要因です。
3.”パブリック”のアンサーソングとして
ここまでで、
「実はアウフヘーベンしていない」
「大森元貴哲学から逸脱している」
ということを書いてきました。
最後に、”アウフヘーベン”を語る上で絶対に外せないのが”パブリック”の存在です。
というのも、”アウフヘーベン”は”パブリック”と対になっている曲だからです。
”パブリック”って「どんな曲だろう?」とか「どんな歌詞かな~」とかいいから、とりあえず聴いて...
全人類......聴いて...!!(2回目)
これです。PVの雰囲気とか結構”アウフヘーベン”と似ているかなって感じですね。
ミセスファンの中でもかなり人気のある楽曲です。疾走感のあるロックサウンド、この曲も大好きです。
”アウフヘーベン”と”パブリック”の関係性について、大森さんはこのように言っています。
4曲目の「アウフヘーベン」は高2の時に書いて、1st(2016年リリースの1stフル・アルバム『TWELVE』)に入ってる「パブリック」のアンサー・ソングなんで、「パブリック」と同時期に制作してた...
同曲(=アウフヘーベン)は大森(Vo・G)が高校2年生の時に書いたもので、1stアルバム『TWELVE』収録曲の”パブリック”と対になっている楽曲とのこと。
大森は「当時思っていたことがたくさんあって曲を書かずにはいられなかった。毎日のように、それこそ1日に2,3曲作っていた。 その中でも個人的に印象に残っている曲で、いつかリリースしようと思っていた」と語っている。また「『パブリック』は『人そのもの』をうたっているが、この曲(=アウフヘーベン)は『人が何をするか』とか、『人の思想』について書いた曲」とコメントしている。
これ、アンサーソングって言葉をどのように捉えるかによって、二つの曲の印象が結構変わるなって感じます。
アルバム発売前、”ENSEMBLE”の情報が徐々に解禁されて「パブリックのアンサーソングであるアウフヘーベンって曲が収録されている」ってことだけわかった時、私は「パブリックの後の世界が歌われてるのかなぁ」って思ったんです、勝手に。
それで曲を聴いて、PVを観てみたら「なんか思ってたアンサーソングと違う...!」ってなりました。(まぁ先入観があっただけといえばそれまでなんですが)
「これアンサーソングっていうか、対になった曲っていうか......反対の曲じゃん!!」
そうなんですよ、どちらかといえば反対なんじゃないかぐらいに思えます。
両者の対比が一番象徴的なのは、曲の最後の部分の歌詞です。
その度になにかを欲しがって
人は自分の為に傷を負わす
醜いなりに心に宿る
優しさを精一杯に愛そうと
醜さも精一杯に愛そうと
これだよこれ!「大森元貴哲学」の真骨頂!!
醜くっても、それでも愛するの!!
”アウフヘーベン”の終わり方とはかなり対照的です。
PVの終わり方もなかなか興味深いです。すごく対照的だから。
”パブリック”のPVの最後では、戦争や醜さは額縁に入れられ、その向こうには扉が開かれています。そして女の子の心臓のあたりには、鮮やかな色彩が。白っぽい背景でPVが締めくくられています。
歌詞もPVも、希望を持てる終わり方をしています。
ぜ、全然”アウフヘーベン”と違う...!
もし”アウフヘーベン”が”パブリック”の「その後」を歌っている曲だとしたら、救いがないんです。”パブリック”でせっかく明るい未来が見えたのに、暗転して終劇ではあまりにも報われない。(だから個人的には”アウフヘーベン”と”パブリック”が繋がっていたとしても、”パブリック”が「その後」であってほしい。というか繋がってなくてもいいな、という願望。)
4.まとめ
ここまでで色々と書いてきたんですけど
私が”アウフヘーベン”を聴いて感じたことは、「この曲がとんでもなく重くて暗い」ということです。
まずアウフヘーベンしていない。止揚していないんです。そこにはジンテーゼもない。
そして「大森元貴哲学」からの逸脱。絶対に希望は残っていると、手放しに断言できない。
最後に”パブリック”との対比。「醜さも精一杯に愛する」程に強くはいられない。
この曲、めちゃくちゃ重い。
基本的に救いがない、どうしよう。
(ちなみにENSEMBLE TOURのMCで大森さんが「今回のアルバム制作が実はとても苦しい作業だった」と言っていて、その一因は”アウフヘーベン”にもあるのかなと。このMCについては後で掘り下げたい所存。)
でもね、実は少しだけ救いがあるかなって思います。先述のように、この曲は「人が何をするか」を歌ってるんですよ。
「なんだっていいんだって」って、安牌な回答をして大勢を傷つける間は、決して「大丈夫」じゃない。
けれども「ゆらりゆらり揺られている」私が流されずに、「大丈夫」っておざなりにせずに、歪んだ世界を修復しようとする限り「君との未来がある」のかなって信じたいです。恥かしい。